深夜の考え事

珍しくこんな時間まで起きてます。色々ネサフして、ニコ動を垂れ流しにしながら色んな記事を読んでいます。

昔の方が記憶力がいいもので、言葉が勝手に溢れてくる。感性の摩擦、細胞が巡り、浄化される。いつのまにか離れてはなくなり、でも途端に戻っている。その感覚を覚えている、鋭利な刃のよう。

って、こんな抽象的なことを書いてもわかるはずもないんですけど;でも、90年後半から00年前半のJ-ROCKを久しぶりに聴くと細胞が活性化してしまう、私の場合。音を聴くだけで、言葉が、続く。巡る。還ってくる。そしてまた続く。


少し前ですが、体調を崩しました。病院に行ったら落ち着いたようで症状も軽くなり小康状態、来週に検査結果が出るんですけど一言で言えば『ホルモンバランス』が悪かったんですよ。いや、くりびつてんぎょうでしたね;まさかあんなことになるなんて(これは流石に言えない;)。

気づくんですよ、知らず知らずに無理をしている自分に。そしてその「無理」を誰にも言えない自分に。家族にも、恋人にも言えない。言えやしない。だって、ベクトル同じでも『視線』が違うから。寄り添っているようで、実は他人で、言葉を探しようにも視線が異なるから重ならない。だから時には躊躇する。うまく伝えようにも、言葉が続かなくて。難しい。

話し言葉の私は「なんか」がとても多い。「なんか」という曖昧な表現で現実から目を背けている。『なんかね』で片付けられると思ったら大間違いだ、むしろ言葉足らずの自分に呆れる一方だ。

先の言葉と矛盾するけど、人生は人間との寄り添いで道筋が決まってくる。あの時、あの場所で、あの人とあんなことがあったから、私はこうなる、というストーリーがあるんですよね、要所要所で。

いろいろ考えます。思春期だね。





ここからはひとりごと。
私はまだ早いと思う。何故ならまだ社会人として何も成し遂げていないから。この不況で成し遂げるなんてことを言ってはいられない状況だけど、それでも未熟なまま進んではいけない思いが強い。想いは強い、しかし一時の感情に惑わされてはいけない。明日、1ヶ月、半年、1年、10年。道はまだまだ続くもの。勇気がまだない、それは確固たる意志が私にも足りず、夢物語で終わっているから。

浮かんでは消える結婚話。私にはまだ自信がなく、その自信のなさが相手にも伝わるものなのでしょうか。

以上。寝ます。