ラブレターをもらった。

人間のことが、嫌いだけど好きだ。すんごく矛盾したことを言っているけれど、でも、本当のことだ。
同時に、自分のことが嫌いだけど好きだ。自分のことを、自分くらいは好きでいなきゃ、自分が救われない。
私は「私」という生き物を死ぬまでやめられない。「私」という自我は死ぬまで付きまとう。だから嫌いな部分も受け入れて、同時に好きになってしまえばいい。

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ラブレターをもらった。手紙ではなく、ネット上の言葉の羅列だったけれど、でも確かにそれは確かに私宛のラブレターだった。24年も生きていれば、誰かのことを好きになるし、好きになってもらえたりする。でも、今まで「ラブレター」をもらったことは、ない。(あげたことはあるけど。)だから、なんだか、こそばゆかった。残念なのは、オンナノコからだったこと(ヲイヲイ;)。

彼女は私のことを
ただの自己満足であるはずのものを、繋げてくれて、広げてくれて、
そうしていかなければダメだと教えてくれた人がいて。
その人の言葉は、何気ないものでも端々からすごく気持ちが伝わってくる感じがして。
「絶対に、いいものを」と思ってくれてるのがよくわかるのです。
だから、涙が出そうになるのです。

と評価しれくれていて。でも、私からしれみれば

彼女が「やりたい!」と思ったことを、私のできる限りの力で手助けしているだけで。
自分が今まで学んできたことを糧に「こうしたほうがいいんじゃない?!」ってピーチクパーチク言っているだけw

でも彼女は「涙が出そうになる」という。それが、嬉しい。


ラブレターをもらったからには、できる限りのことをしたい。頼ってもらっているのに、おざなりになどしたくない。だから一生懸命考えるし、思いつきでも発言する。それが時にはものすごい連鎖になって繋がってしまうこともある。今はまだ、その過程。彼女とたくさん話をして、フライヤーのデザイン案も固まりつつある。はじめは自分の方こそ自己満足で進めようとしたけれど、このイベントを最大限にイメージづけさせてしまうのは、このフライヤーなんだ。だから、彼女が企画として実現したいことを最大限に魅力的に見せるようなデザインをしたい。これは義務。

こう考えると、私、色んなことをしているw企画のブランディング、主催の意識づけ、フライヤーのデザイン、コミュニケーションデザイン。。。正直、求めすぎっていうくらいやってる。でも止められないのです。片足つっこんでしまったからには、納得のいくものをしたいし。折角こうやってコミュニケーションデザインを実践できる現場があるのだから、いい意味で利用したい。その方向が、彼女にとって満足のいくものになれば、いい。だからこそ、企画と主催(スタッフ)の魅力を引き出すことが、大事。何より大事。

彼女のために、最後にもう一度。企画をどうしていきたいのか、ちゃんと考えよう。「納涼夜音祭」というイベントを、自分はどういうものにしたいのか、そして来場者にはどうなって欲しいのか。そのイベントを魅力的にみせるために、どういった仕掛けが必要なのか。どうせだったら下北沢駅からお祭モードにしたくない?私はやるからにはしたいよ。だから別イベントの主催の方にも会いに行くよ。差別化をはかろう。絶対無二のイベントにするために、特長を捉えて、チャーミングに、お祭という特性、郷愁を最大限に利用するんだ。あなた自身も最大限に利用しよう。もっともっと魅力的になれ!このイベントを通じて彼氏ができるくらいの魅力をもて!!そのくらい、周りの人から親しまれて、愛されて、可愛がられる存在になってくれ。大丈夫、企画と企画を行う人物に魅力があれば、絶対にうまくいく。そのために、考えることをやめないで。私もいっぱい考えるから、一緒にがんばっていこ。

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これが私の「ピーチクパーチク」wでも彼女にとっては「絶対にいいものを」。同じことでも同類項になってしまう不可思議さ。