波紋のように、浮かんでは消え。

感情が、張り巡らされているなぁって思って。


色んな自分がいることに気づかされます。たくさんの自分の中から、何を残したいのかは自分の意志だけで決まっていって。最近はTwitterでも仕事に関する真面目なツイートが主だけど、やっぱり音楽が大好きなものでいろいろ思っていたり、ふと湧いた哲学について話したかったり、急に暗くなってしまったり、納涼夜音祭について想いを馳せたり、たくさんのお会いしたい方のことを思ったり、異常気象について思ったり、なんだかかんだかあるんです、人間だから。


でも結局、それらすべてを束ねた、すこし離れた目線でしか、私は書けないんですよね。熱量の違いを実感する。あのふって湧いた感情たちはこのブログで書いてはいけないような気がする。それはもうTwitterだね、あそこには本当リアルタイムの情報が流れているから、流れに任せて私は私のままに呟く。


でも。少しだけ。発散したいネガティブなキモチがある。


よく言ってることなんだけど、私、キラキラになりたいんです。身体の内側から発光する「キラキラ」。例えば、こんな辺鄙なブログを読んでいる貴方が、私にキラキラの素を与えてくれるのです。でも、うまくキラキラできない自分が、もどかしくて、恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまうんです。生き恥を晒している状態なんですよね。助けてほしいけど、誰も助けてはくれない。そんなの自分が勝手に落ちて、暗くなってしまっているだけだしね。何でもかんでも、自分でやらなきゃいかんのですよ。でないと自律できない。でないとみんなが求める「私」になれない。

要は、なりたい自分って、みんなが求める「私」なんですよ。自分の意志を尊重するのではなく、みんなの意志を尊重して、自分の意志に置き換える。この生き方は、卑怯なのかもしれない。でも意外と私はタフだし、冷静なもので。パーソナルメディアはみんなが作る、集合知の私だ。

キモチが、波紋のように浮かんでは消えていく。
ココロは、沈んで隠れたままだ。
誰か掬い取ってくれないものか、でもそれは流石に自分の仕事。