そばにいるのか、そうなのか。

9月も10日を過ぎて、自分は「ぽっかり元気」なのかと気がついた。元気だったそのものに穴が開いて「ぽっかり元気」。そのぽっかりに、何を埋めていこうか迷うのです。それでも時間は淡々と過ぎていきます。きっと「ぽっかり」も気がついたときには消え失せて、元通りの元気になるのでしょう、それが人間というものです。

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)


今日は、多分このblogでは初めての、本の紹介でごわす。はてなは文中に本やCDの紹介が出来るのがいいところよね。少しでも紹介しないと勿体ないよね、ということで、最近読んだ1冊(まさに今日だけど)。重松清の「青い鳥」。なんというかものすごく「重松」です。一回でも読んだことはわかると思うんですが。重松清のお話って、いっつも現実世界のどこかとリンクしているような気がしてならないのです。もちろん他の作家でもリンクしているのはわかるんですが、重松清の世界はそのリンクがものすごく近い。だから感情移入もしやすい。時々自分だったり、はたまたクラスメイトの人だったり、となり町にいそうな、自分とはとても近い次元の人たちによるお話に感じてしまうのです。

夢でも幻想でもない、現実世界で実際に起こりえることを題材に、重松清なりの解釈・接し方をしていると思うのです。普通が普通ではない、それが普通の人たちを、「そばにいること」で普通ではないことを普通にする。それが「たいせつ」なこと。普通は普通なんです。でも、普通は普通じゃないんです。普通って難しいですね。でも、「たいせつなこと」がねぇ、見えてくる。その見えてくる気持ちが、嬉しかったりするんです。重松さんの作品は、いつもそうです。

読み終わって、びっくりしたのが、既刊紹介のページで。そんなところにも「そばにいるのか」と、思った。そばにいるのを確認して「そうなのか」と思わず苦笑したのは、ここだけの話。