守られながら、生きている。

信じることが信条だけど、信じることに疲れてしまった。でも、信じることができなければ、きっと何もできない。確固たる意志、現在位置の把握、進もうをいう気力。裏切られることの苦しさというか悔しさは、癒えることはあっても消えることはないだろう。それでも、やっぱり、信じている。えぇ、バカなんです。悲しいことに、そうすることしかできないんです。

守られながら、生きている。

親とか、兄弟とか。家を飛び出したら、学校とか、会社とか。それだけでなく、毎日の洋服とか、お気に入りのメガネとか、毎日手にする携帯電話、ヒマさえあれば耳傾ける音楽、活字追う書籍。おいしいご飯、あったかい布団。だいじな友達。かけがえのない知り合い、一生に一回だけ会うかもしれない通りすがりの人。

たくさんの人に、たくさんのモノに、守られながら、生きている。

守ってくれるのは、どこかで何か「期待」をしているから。信じることだって、おんなじだ。
守られてるから、守りたい。
信じられているから、信じたい。

自分を信じる。とてもとても難しいけど、でないと「自信」は生まれない。