続・理論派の彼と感情派の私。

心を許せる友人がいる。理論派の彼だ。彼の前になると、私が普段抱えている小難しいことを話すことができる。彼の話を聞くと、より深いことを話すことができる。抑えようとしている感情も、すべてさらけ出すことができる。感情のまま話す私と、その話を精査して理論的に話す彼との関係は、とてもかけがえのないものなのだ。

そんな理論派の彼と3年ぶりに会った。むしろ会いにいった。理論派の彼が住んでいる水戸まで。(この行動力がすごい!でも本当は水戸に住んでないんだけどね;)

片道2,900円で4時間。お金も時間もかかる。滞在時間:移動時間だって1:2。それでも会いたかった、話したかった。それをすることで、そのお金と時間以上の価値があることもわかってたから。

結果、4時間しか水戸には滞在することはできなかった。たっくさん話したいことはあったけど、すべてを話すことはできないから、特に話したいこと、話さなきゃいけないことを話した。それはつまり、自分にとって「たいせつ」なことの表れ。すべてを話すことのできる理論派の彼だから、余計にそう思った。そしたら見えてきた。

話すことによって見える、シンプルでブレない自分。
もやがかかって、見えてなかっただけなんだ。素直になることでそれは解決する。
なんだ、やっぱり答えは自分の中にあったよ。

「変わらないな」と言われた。その一言が嬉しかった。当時の自分が今に根付いている。きちんと「芯」ができている。あとは、それを突き詰めるだけ。ありがとう。本当にありがとう。また今度会おう。

わかったらまた考えよう。
理解と、前進のために。