四半世紀少女の悩み。

25歳になりました。四半世紀。めでたいです。と、同時に「ついにきた」という気持ちもあります。常に抱く焦燥感が目の前に現れるのです。25歳になったら、本気で動かなきゃと思っていたから。

自分に何ができるのか、さっぱりわかりません(特に今はネガティブ中だからよけいに霧の中にいる)。空回り気味の思いしかないんじゃない?っていうのが、正直なところ。なんだ、いつもどおりですね、私。でも、今年は「挑戦」の一年なのです。

Twitterで誕生日ツイートをしたら、40名ほどのたくさんの方々にお祝いしてもらいました。と、同時にたくさん応援してもらいました。こんな暗中模索状態の私に対してです。嬉しい、と同時に責任感がどどんとのしかかります。「本当にやらなきゃ」っていう感じ。ぴーちくぱーちく言ってるだけなのに、みんな信じてくれているから、わぁわぁしちゃうのです、正直なところ。

思いっていうのは、ろ過するものだと思っているんですね。たーくさんのことを考えていて、その中でも発するものって、限られてる。発したものを、繰り返し発するものなんて、それこそ一握り。そうやって、自分の「核」というか、中心の「思い」っていうのが成立していくと思うのです。それを見た皆さんは、見守ってくれてるのです。たまりません。感無量です。

でも、怖いです。自分が目標とするところに、到達できなかったらどうしよう。尊敬している人たちに、認めてもらえなかったらどうしよう。この5年に懸けようとしているのに、道を誤ってしまったらどうしよう。むしろ私が「私」を認められなかったらどうしよう。根暗な性格は、直りそうにない。

繰り返し発することによって、思いはろ過されます。そうして純粋な思いが生まれます。自信がなくても見栄張って、すこしでも自分をすごく見せないと、ね。そんなちいさなちいさなナヤミゴト。