「愛」を探そう。

本当に時間というものは早い。あっという間に1月が終わってしまう。ということは1年の12分の1が終わってしまう。とまぁ、ありきたりの定型句を言ってみましたwでも本当のことなので、仕方がないですね。

筋肉って、酷使する度に強い筋肉になるじゃないですか。それに近いことを最近してます。今月は、3回の初対面がありました。アートイベントのエキストラに参加し、その流れで平面作品を作ってみたり、大学3年の子とお会いして印刷業界について話しあったり、私が大好きな音楽イベントの運営の方にもご挨拶できたり。あと、ユニットで活動することになりました。これは今週末に初の顔合わせ。とまぁ4回の初対面に増えるんですけど。このユニット活動については追々詳細を話すと思います。広めたいし、伝えたいし、理解していただきたいので。週1ペースで何かしら動く。去年は月2回がいいとこだったのに、すごい速さで「駆け抜けてる」感があるんですよ。こういう動きに、少しずつ対応できている気がします。お陰で自分のことは牛歩すぎてどうしようかと思うんですが、まぁ全部やりたいことなのでよしとするかってところで。変なところは楽天家。

そのユニットで、「愛」について色々やることになりました。なので、愛に対する考察というか、なんやかんや、想いを馳せてしまう私でありまして。「私にとっての愛」を模索しているんです。結局のところ、私の根本に詰まっているものでしか、表現というのはできないのです。深層心理まで潜り込んで、私なりの「愛の在り方」というのを探しているのです。出し惜しみはいたしません。隠したところでなんになる?いつかするりと消えてしまう。ならば残そう。そしてソレを超えるものをまた生み出せばいいんじゃないかと思うのです。(ここの段落、勢いに任せてかいてみた。結構楽しい。)

私は、「愛してる」というコトバは特定の人ひとりに使わなくてもよいと思っている。だって愛しているんだもん。ひとりひとりに異なった「愛し方」というものがあるのだから、そのカタチはひとつではない。時には「哀してる」人だって、いる。博愛主義というかもしれない。八方美人なのかもしれない。でも、愛してる人はたくさんいる。愛してるモノだってある。愛してる時間だってある。愛してるたくさんのものがある。そういうものだと思って生きてる。

人生において、人と人が交差する時間なんて、取るに足らない、一瞬の出来事にすぎません。幼稚園での出来事も、大学時代の思い出も、その交差する瞬間はとても愛しいものであります。そういう「愛しい」もので毎日が成り立っているような気がします。時に悲しい出来事もあります。でもその瞬間だって愛しいもの。悲しいことが刻まれることは、歓ぶべきことだと思って、肯定する。そうしてまた、自分自身に深みが出る。だから思う。私はあなたを愛してる。これから出会う人だってアイシテル。愛がたくさんあるので、埋もれます。ぶくぶく。

でもそんなたくさんの愛が、ひとつの答えになってしまうのです。少なくとも私の場合は。この文章を読んでいるあなたは愛してる人はいますか?愛してるモノはありますか?

こんなところまでわざわざ読んでくれた、私はあなたを愛してる。