あかりとつながり。

地震から24時間以上が経過した。現実には思えない現実が襲ってきていて、あんまり受け止められない。でもやっぱりその時思ったことを書き留めておきたくて。暗くなる前に、節電協力の18時になる前に。

3/11 14:46 私は日比谷のとあるビルの20階にいた。エレベーターが開いて、直後に揺れた。はじめは20階だから、古いビルだから、と勘違いしていたがどうもおかしい。地震と判断できた時はしゃがんで、かばんで頭を守ってた。自然と近くにいた方と寄り添っていた。同じ階にあるレストランで、お皿が一気に割れる音がした。正直、このビル倒壊するかと思った。エレベーターの中にいたら、確実に閉じ込められていた。怖かった。

揺れがある程度収まって、階段で20階分降りた。こんな事態で外が安心というわけではないけれど、それでも太陽を直接浴びることができたのは嬉しかった。そしてツイッター。状況を確認するより前に真っ先に「生きてます。」とツイートした。都内にいても生死の危険を感じたから、無意識にそうしてた。

目の前には有楽町駅のホーム。復旧の目処がたたないことを知る。ツイッターで都心は震度5、宮城は震度7ということを知った。ひとまず会社に戻ろうと思った。家族と会社に連絡したいが個人用のiPhoneも社用のドコモも当然のようにつながらない。公衆電話は列をなしてる。なので日比谷から新橋まで歩く。いつも利用する沿線の駅にいるだけで心強くなる。つながっていることを知っているから。

なるべく大きい道路を通ろうと思った。裏道は迷ったら最後、余計な労力は使いたくないから確実に帰れるルート。昼にペットボトル1本買ったから水分は大丈夫。適宜ツイッターで情報収集と同時に、都内の様子をツイート。都内の様子は、都内にいる自分にしかできないこと。途中、空いてる公衆電話を見つけて会社に電話。家の電話は何度かけてもつながらず。たまたまコミュニティバスを見つけて、田町行きだったから乗る。結局三田で下車。

品川方面に向かう途中、たまたま見つけたドコモショップへ駆け込み。なんとか連絡をとろうと思ってアクションを起こしてしまうと、それだけで電力を消費してしまう。社用のドコモはあっという間に電池が切れたので充電。スタッフさんが明るく親切に対応してくださった。だんだん外は暗くなり、肌寒くなってきていたから、店内の明るくてあたたかい雰囲気は、とても心が安らいだ。他にも同じ状況の方がたくさんいたので、30分ほど充電。充電中にワンセグではじめて地震の映像を見た。ツイッターのタイムラインで追う文字情報よりも、はるかに鮮明で。

今度はiPhoneの充電がヤバイ。品川にソフトバンクショップがあることはわかっていたので第一京浜沿いに歩く。「横浜まで25Km」という看板を見て、今日の帰宅は厳しいと判断した。充電して、下れるだけ下る。ケータイからだと、やっぱりどちらも繋がらない。品川駅高輪口に着いて、驚愕。歩道には溢れんばかりの人。JRの連絡口の階段はホームレスでもないのに両端に人が座っている。京急もJRもシャッターが下りていて、本当に非常事態なんだって思った。iPhoneでも30分だけ充電して、その間はすき屋で牛丼食べた。夜が来る、どこで過ごせるかわからなかったから、何か買いだめするのではなく、今のうちに食べられるなら食べてしまおうと思った。

充電してもせいぜい25%。逐一状況をツイートしていたら品川プリンスホテルが解放しているとのこと。行かねば!ロビーでまたも公衆電話があったので、30分くらい並んでまた電話。家はまたも繋がらず、しかし姉のケータイはつながった!状況の確認。鶴見に住んでる兄が近いなら、帰れないならこっちにきてもよいと。迷う。

迷ったけど、行こうと思った。だいじょうぶ、あるいていける。品プリで会った女性の方で同じ方面の方がいて(なんとその方は上大岡!)、2人で第一京浜をひたすら南下。まわりには同じように第一京浜を南下する人がたくさん。きっとみんな京急ユーザー、途切れることのない人の列。みんな帰りたくて、安心したくて、必死。途中、現在の気温4℃という看板を見たけど、2人でおしゃべりしていると寒さとか、どんどん痛くなってく両足も幾分和らいで。楽しかった。川崎で方角が異なるため、別れ。ここからはひとりのたたかい。

寒くて、辛くて。品川ではたくさんつながっていた人の群れも、川崎まできたらまばらになる。歩くペースは遅くなる、立ち止まったらきっともう歩けない。つながらないケータイ。つながらなくても、手のひらサイズのあかりは「ひとりじゃない」って励ましてくれている気がした。がんばってひたすら歩く歩く、日比谷から休憩も挟んで計8時間ほど、ようやく着いた。でも公衆電話が見当たらないから兄に連絡がとれない。彷徨う。

「歩く」と「彷徨う」は違う。歩くには目的地があってそのために進むけど、彷徨うっていうのは目的地がない。どこにあるのかわからない公衆電話探しの旅は、4時間ぶっ通しで歩いている中で一番つらいものがあった。気力と体力の限界、だっていつつながることができるのか、わからないんだもん。そんな中、公衆電話を見つけた。かじかんだ手で電話をして、ようやくつながった。

兄の部屋は明るくてテレビがあって食べ物があってお風呂も気持ちよくて、あたたかかった。久しぶりにツイートしたら、たくさんのリプライをいただいた。励まされた。兄に4時間歩いたことを話したら、叱られた。自分のことを気にかけてくれる存在がいるっていうのは、どんなに嬉しいことなのだろう。お布団もあったかくて、ぐっすり眠った。それはもう断続的に続く余震に気づくこともないほどに。朝、京急の復旧を知り、28時間ぶりに帰宅した。

血のつながりは大事だけど、人のつながりだって同等に大事だ。報道で状況を知るたびに胸が痛む。煌々と灯るあかりがひとつあるだけで、どれだけ心がほっとするか。とても他人事には思えないです。世界中が「pray for Japan」と祈っているけれど、私は何かしら動いて、人の心にあかりを灯したいと今回は思った。それが確かに人のつながりになると実感したから。長文なのに、読んでいただきありがとうございました。1秒でも早く、皆様の心に「安心」というあかりを灯せるように。