自分の中の「線引き」をなくそう。

毎日というのは、まぁ移りゆくものであってようやく秋めいた季節になってきた。私は身体の調子はすこしおかしくなってしまったけれど、投薬治療によってどうにか自分を保つことができている。正直、なくなったら怖い。けど、こういうのってやっぱり気力がモノをいうんだと思う。体力はまだまだなんだけど、食欲はぼちぼち戻ってきました。そして、だいすきなからし色が似合う季節だと思ってます。

知らず知らず、出来るラインと出来ないラインっていうのがある。ここまではいける!とか、ここは超えちゃいけない!っていう独自のルール。私はそういうのを気にしすぎて今こんなんになってしまったんだけど、さとなおさんの「明日のコミュニケーション」を読了してから、ちょっと考えを改めようかと思ってきた。

ソーシャルグラフっていうものがある。ソーシャルメディアによって可視化される、人と人とのつながり、関係図のようなものだ。

私は今まで、自分でソーシャルグラフにラインを引いていた。現実と仮想。実体と虚構。両方とも自分なんだけど、完全に重なることはない。そういう風に、考えていた。高校、大学、会社というステージを経て、つながりの関係図っていうのは広がっている。しかもそこにインターネット、SNSの世界があって、世界は本当に複雑だ。その中でまた自分でラインを引いていていることないですか?しかもそれが時々億劫になるとき、ないですか?私はありますよ。

今はソーシャルメディア世界が台頭していってると私は思ってます。もちろんメディア媒体の中ではまだまだ新芽で、それそのものに固執してはいけないのだけど、ソーシャルグラフを可視化できる現代で、そういう独自の「線引き」って結構めんどくさいなぁと思えてきました。あと正直きっかけになり得る出来事もあったので、その「線引き」をとっぱらっちゃおうと思いました。

十分私はソーシャルメディアの世界でオープンに過ごしていると思っています。でもソーシャルグラフから見てみるとオープン化というのはまだまだで。さとなおさんのおっしゃるSIPS理論を用いてしまえば「P」における参加者をもっともっと増やしていっちゃえばいいと思った。というか増やすべき。母体数は多ければ多いほどいいし。そうやって、私個人のファンを増やしちゃえ!とか思っちゃうんです。

どこの「線引き」をなくしたかはひみつにしますが、こうやって、また、一歩進む。その過程をリアルタイムで目撃することに、ひとつの意義があると思うよ。