月末までにやりたかったことシリーズ。

もうあっという間に月末で、今日は私の父親の誕生日で、それまでにやらないといけないことがなんやかんやあります。ミドリカワ書房の「頑張るな」を聴きながら、適当にこなしていきたいなーって思ってます。でも、適当っていっても私の場合は「頑張り過ぎない適当さ」です。今の私は、そのくらいがちょうどいいです。

月末までにこのblogでやり遂げておきたかったことその1。それがこの本に対するあれやこれやです。どどん。

佐藤尚之さんの「明日のコミュニケーション」です。前作「明日の広告」かーらーの、明日のコミュニケーションです。

前もっていっておくと、私はさとなおさんのファンです(SIPS的にいうとエバンジェリストなのかっていうと不明なんですが)だから要所要所で3色ボールペンでメモしまくり、自分の知識にしようとこねくりまわしていたのですが、もう月末なんで、この本を読んで思ったことをばばばーっと吐き出したいと思います。ゲロみたいなものなので、自分でもまとまってないし、理解されづらいかもしれません。それでもとあるひとつの事象はなんとか頭の中で整理できたので、それを。

それは「ソーシャルストーリー」を持たせることが共感を纏いやすいのでは?ということ。この本は企業向けに書かれたソーシャルメディアに関する本なんですが、私はそれをはじめから度外視して「個人」のために読んでいました。それは時代そのものが【個】の時代になり「つつ」ある(スガシカオだってそんな理由でレーベルから独立しちゃう)から。【自分】そのものがどういうポジションにいて、どういうことに関心があって、それが社会に対してどのように寄与していけるのかっていうのがこれからだいじだと思っていて。

SIPSというのは電通のサトナオ・オープンラボが提唱したAIDMA、AISASに続く新しい生活者消費行動モデルです。詳しくは説明しませんが(とりあえずP148くらいから読んでほしい
S→共感する(Sympathize)
I→確認する(Identify)
P→参加する(Participate)
S→共有&拡散する(Share&Spread)
っていうことなんですけど。人間味のある【個】はそれを繰り返すことによって大きくなっていくんではないのか。(もともと思ってたけどSIPSがそれをより明確化してくれた感じ)。そして、そこには「ソーシャルストーリー」がないと関心ももたず、参加さえなされないのでは?って思うわけです。

私は勝手にこの本に出ていない「ソーシャルストーリー」という単語を用いてますけど。これは主にネット上で見る(確認する)ことのできるその人、ないしその企業や出来事の物語を指します。SIPSという概念にはとにもかくにも共感を纏った価値ある情報が拡散され、それを複層化されているコミュニティの人たちに半強制的に見られ、参加している人がよりそのものを「好きになる」「関心を持つ」こと、それが繰り返されることだとなんですけど(少なくとも私はそう解釈しています)。その一連の流れにはストーリーが成立していないと、継続されていかないと思うんです。そうしないと、より価値ある【モノ】になりえない!て思いました。

これ、伝わってますか?ただ単に狙った共感を引き出そうとするのではなく、その人自身のあるがままの【個】、それが続いて続いて見られるようなソーシャルメディアというひろーい環境を手に入れて、その中で織り成すストーリーがアクティブ層だけでなく、潜在関与層、プチ関与層にまで伝わって発信という名の参加を得られればその【個】はもっと大きくなるって思いました。そこには共感されうるストーリー性がだいじだと。

実はSIPSになぞらえた具体的事例も私のあるんですが、やめときます。参加におけるPのファンからロイヤルカスタマーになれなかった話だから。あと、お茶の間からネオ茶の間になって、懐古的流行になってまた新しい茶の間が生まれるんじゃないのか?とかいろいろあるんですけど。→でもこれはコワーキングが私の思う「新しい茶の間」となりつつあると思う。あと絆って中国語でいうと「紐帯」ってなるんだ、とか。この本に対していろいろ思いましたねー。うわ、すごい殴り書きですねー。これをご本人に読ませそうとする精神が自分でも恐ろしいです。(以前Twか何かで知見まとめたらblog書きます宣言したので。)

あ、最後に。私、この本を読了したとき泣いたんです。どこで泣いたのかというとP250の後半の部分なんですけど。内容は教えません、読んでくださいwこの部分を読んだときに、今まで勝手にソーシャルメディア好きでいろいろ勝手に振舞っていた自分がすべて肯定されたような気がしました。大学時代から地域とかメディアとかを研究していて、それが社会人になっても個人的にいろいろ勉強していて。ソーシャルメディアが好きだから身をもって体験するだけでなく、概論的にも詳しくなりたいと思っていたから、この言葉が実は一番沁みました。

そんな感じです。もう散文ですみませんでした。そして、最後まで読んでいただきありがとうございました。明日は先月から体調を崩したことを書こうと思っています。読んでいただいたあなたがSIPSないし、私という人間に興味を持っていただければ拡散と共有という参加をしていただければこれ幸い。それこそ本当のSIPSだから。