悔しくない、わけなんかない。「カラダ編」

今週から年末いっぱいまで、有休消化で会社をおやすみして今日で5日目。ちょっといろいろ、思う事があったので「カラダ」と「ココロ」に分けて書きたいと思います。

・カラダ
月曜に通院に行って現状を話すと、まぁストレス要因になっている会社を休みになったということで負荷が軽くなったため、様子見ということで薬の量は増えなかった。でも、淡々で現状を話す様を客観的に見ているととても滑稽に思えてきて、その事実に泣けてきた。お陰でその日の帰り道は陰鬱だった。

その反動か火曜はびっくりする程何もしなかった。お昼前に起きてごろごろ。ごろごろ。ご飯。ごろごろ。何もやる気が起きやしない。「やる気」ってそういうことなんだなぁってやる気のない自分が表れてわかった。やる気は気力のきっかけになる、だいじなものなんだと思った。

水曜。【四半世紀少女】のDMが再納品された。各方面から送り先を聞いていたので、ほそぼそと宛名書きをしていった。家にいると、時間の流れがとてもゆるやかで、でもそれがなんだか怖くて、無理矢理着替えて無理矢理出かけた。やっぱりやる気が起きなくてすっぴんだった。定期も持っていたから電車に乗ってどこか行こうかと思ったけれど、なんか無理だった。移動そのものが嫌だったから、駅前のモスバーガーでちまちま宛名書きをしていた。

木曜。とにかくどこかへ行きたかった。家は落ち着くけれど、いろいろ考えてしまうから怖い。着替えようと思っても、洋服を何にしたらいいのかわからない。ストーブの前にいて寒くないんだけど「着替えよう」という「やる気」が湧かないから着替えられない。そんな時間が、3時間くらい経っていた。ようやく着替えて、家を出た。でも当初の予定よりのもっと近場までしか移動しなかった。億劫だった。めんどくさかった。
古巣のバイト先へ顔を出した。4年間アルバイトした書店。仲のよいパートさんにDMを渡しがてら、仕事終わったらお茶しよう?って誘った。とにかく、気を紛らわしたかった。その後待っている間のスタバは苦痛で仕方なかった。とにかく周りの声がうるさいと感じた。またひとつ、陰鬱になった。パートの人とのお茶はよい時間だった。

金曜。今日。今日もひとまず着替えた。でも行き先は近所の郵便局だけだった。黙々とDMの宛名書きしていた。ひとまず50人くらいの人にDMは出した。父と母はせわしなくうごいていて、私はDMのこと以外はこたつでぼーっとしていた。久しぶりに「昼寝」ってやつをした。一番穏やかだったと思う。着替えもスムーズだったし。

そんな一週間だった。基本呟く時以外はTwitterは見なかった。というか見る気力もあまりなかった。Twitterはたくさんのフォローしている人の声がわかるけれど、嬉しい人もいれば哀しい人もいて、それがなんだか、淋しいのだ。本当はそんなことを思っている場合じゃないこともわかっているんだけど、どんどん劣等感が育っていくから、基盤とする「家」からどこか逃げたかった。帰る場所も「家」だということは重々理解しているのに。そして「やる気」の重要性を知った。結局、なんだかんだで、進行しているんじゃないのか?と懐疑的にならざるを得なかった。会社にいたって、同じことを思うくせに。