きのう 会社を 辞めました。

2012年3月15日。この日をもって今の会社を退職することになりました。
新卒で入社して、ほぼ丸4年。あっという間だった。

私は今、適応障害という精神病を患っています。まだ完治はしていません。
一時期よりかは復調には向かってはいますが、それでもまだ薬物療法はしていて、もっと良くなる為にはこのまま会社に残ることよりも、会社を辞めた方が自分の為にはいいのだろうと思って、退職することを決意しました。

むかし、大学時代の飲み会の席で先生がおっしゃっていた言葉があった。
「会社を辞めるのなら、その会社がどのようにして成り立っているのか、理解してから辞めなさい。」
というもの。20歳そこそこの私はその言葉がやけに印象に残っていて、辞めるって決めた時にその言葉を思い出した。思い出さない訳がなかった。

私は会社っていうのは、取引先から仕事を受注してそれがお金になって給料として還元される。ひとことでいうと、そんなもんだと思ってました。でもそうじゃないんだね。もっともっと複雑に成り立っている。社員の数だけ人も思惑があり、それを取り巻く環境の分だけ思いがある。利権もあるし、権力もある。その中で必死に生きている。なんのためかわからないけれど、必死になって、生きている。そんなことを思いました。

その日はなんだかんだで慌ただしくて。あっという間に時間は流れた。
ひとりひとりにご挨拶をさせていただいた。思うことはたくさんある。
いいこともわるいことも。でもそういうことはもうどうでもよくって。
ただひたすら、必死に会った。喋った。

人がひとり辞めることって、すごくエネルギーが必要なんだなぁ。
その時になるまでまるでわからなかったよ。
これもひとつの経験。だいじな経験。またひとつ成長する証になる。

でも、心残りがひとつだけある。
それは「あの会社のハラダヒロコではなくなること」です。
身体が動かなくても、頭にモヤがかかっていても、もっともっと仕事がしたかった。
だって本当に楽しかった。面白かった。やりがいがあった。
でもそれを身体が許してはくれなくて、そのことがすごくすごくつらかった。
みんなのことがだいすきです。でも、がんばれなくてごめんなさい。がんばれなくて本当にごめんなさい。

適応障害はつらい。未だに週一回は吐いてしまうし、眠りに入るまでは大変だし、肌荒れはいつまで経っても治りはしない。出社するにも顔はすっぴん、頭ぼさぼさ、脳みそなんて起きてなかった。どうしてこんな思いをしないといけないんだって思った。
でも、無駄じゃなかったよ。たくさんの人が支えてくれたよ。たくさんの人が気持ちをくれたよ。適応障害にならなかったら、このことには気づけなかったよ。

今日からは第2章。無職編のはじまりです。
いったいどうなることやら、当人でさえも意味不明なんですが
「がんばれ」ってみんな言ってる。
だからがんばろ。もっとがんばろ。
ハラダヒロコという人間に関われて、本当によかったと、思われるような自分になろう。
だいじょうぶ。まだまだやれる、きっとやれる。
おまもりのような宝物が、私にはたくさんあるから。