理想的に語る妹、現実的に語る姉。

私には4つ年の離れた姉がいる。
正直いって仲がいい。
昔はよく愚痴の応酬をしていた。
しかし私が仕事を辞めてからは、一方的に話を聞くようになった。

朝起きると姉の姿はない。
今日もまたマンガを読んだり、転職活動に勤しんだりと
なんてことない1日を妹は過ごす。
そんな妹は、夜になると玄関の明かりをつけることが日課になった。
無言の「おかえり」という合図である。
暗がりを歩く視線の先に明かりがあるというのは
「出迎えてくれている」ことに似ていることを自らの身を持って知っているから。

今日は姉妹で出かけた。
テーブルには美味しそうなロールケーキ。
甘いものを口にして、苦いことを吐きだす。
いつもの一方的に話を聞く展開だ。
だけど今日はすこし変えた。

それはなんてことのない、些細な悩み。
だけど当人にしてみればおおきな悩み。
つまらないけれど大事な理想を掲げる妹
だがそれを極めて現実的に見極める姉。
対極にいそうで、そうでない、同列からの視点だった。

ものごとは、どうしてうまく運ぶことができないのだろう。
難しくていやになることはたくさんある。
だけど、すこしのやさしさで、気持ちがすごく楽になる瞬間がたしかにある。
なにをもって「成功」とよべるのだろう。
なにをもって「失敗」とよべるのだろう。
よくわからない。成功ってなんだろう。

地に足をつけて、一歩ずつ歩こうとしている。歩いている。
そして生活は続く。淡々と続く。
そこには本当にたくさんの感情が入り交じり、時に迷い、時に悩む。
そういう感じでいい。すべてを認め、受け容れてまた歩く。
その先に何か明かりが灯っていて「出迎えてくれていたら」いいな。
そしてまたひとり、妹は暗がりの道を進む。どこか近くに、姉はいる。