守られてること、自覚するから。

複合的にいろんなことが重なっているから、言葉に綴って残すことにする。
日々に積もる言葉の端々、記録することで記憶に残る。

悩むことは私の日常なのですが、それを励ますためなのか、それとも思っていることをただ素直に話してくれるのか、わからないけれど「ハラダはいい」と褒めてくれることが2回あった。
普段仕事に絡まないから、この人は私の何を見てそう評価してくれているのか、皆目検討もつかなくて、それはそれでモヤモヤしていたのだが、いろんな人の気持ちになってみて考えてみることにした。
そうすると何となくわかってきたから、その記録。

ある程度、年を重ねた大人(であろう方々)は、20代の小童の成長というものを見守っている。自分にもそういう時があったであろうことを思い返し、振り返りながらもアドバイスをするのではなく、自分で気づいて行動に持っていくように促していく。わからない時は教えてくれる。でも最終的には自分で「やる」しかない。やらないと始まらないから。

「やる」か「やらない」か。
「思う」か「思わない」か。

「やる」人間、「思う」人間を人は馬鹿にしない。
でも、思いは伝わらないと意味がない。

そういう思考プロセスを磨くには、日々の思いが重要で一朝一夕でできるものではない。
悩みは悩みとして一旦吐きだす。とりあえず吐く。その渦中はわかっていないけれど、ある一定の時期を過ぎたらココロのモヤは晴れていく。そうして変わって、違う自分になってゆく。
その様を大人(であろう方々)はときにおもしろおかしく、見守ってくれているのだと思う。

そう、私はいろいろなモノに守られている。
会社に守られているし、上司たちに守られている。
家族だって守ってくれている。
だから、いいんだ。
いろんなこと、失敗してもいいんだ。
「やっている」事実を見てくれる。「思い続けている」ことを評価する。

ココロの中に、ぶれない軸。
忘れなければ、だいじょうぶ。
笑いながら、悩みながら、掻き回していけばいいんだ。
それが「ハラダ」らしさ。
そういうハラダを、評価してくれている。