そこはかとなく、過ぎていく日々。

※これは「赤い」バージョンです。もうひとつの「黒い」バージョンはもうひとつの書き場所に掲載します。

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すっかり春めいてしまった。冬のセールで買った、お気に入りのコートの出番が昼間の間だけだったけど先日なくなった。日射しが確かに柔らかかった日。今日も日射しが柔らかかったので、コートではなくてジャケットにストールを羽織って出かけた。身にまとうものから、周りの景色が色づきはじめて、少しずつ、確かに、春の到来を感じていく。

あたたかくなったら、新しいスーツを買おう。

何故だか急に思った。出会いと別れを繰り返すあたたかい春の日に、私は新しい「自分」に出会いたいと思った。スーツというアイコンはつまり、もっと仕事に対して真摯になろうと思っている現れなんだと思う。

まわりと比べることでしか、自分というものははかれない。少なくとも就活中や新卒の、リクルートスーツを纏っていた頃は確かに、「スーツ」というアイコンに重きを置かなかった。会社にいる全てのスーツを纏っている人が同じに見えたし、大学に通学している時の電車内というものは、スーツを着ている人はみんなくたびれた大人なんじゃないだろうか?という疑問まで抱いたくらいだ。

でも自分がそういう立場になって、しかも丸三年勤めていると、違うなぁと思った。こだわりを持ってスーツを身にまとうんだなって思った。すごくすごく細かい違いがあって、その違いが紛れもない「自分」を生み出すんだなってわかった。たかが外見、されど外見。びしっとスーツを着こなしている人はやっぱりかっこいいんですよね。うんうん。

で、私がかっこよく着こなしているかというのは甚だ疑問で;まぁそれなりに着てるけど、かっこいいかは人様が決めることなのでわからないんですよね。でもさ、でもさ、折角だったらかっこよく着たいじゃない。代替しがたい「自分」なのだから、それを具現化してくれるような一着に出会ってみたいじゃない!(会えるかわかんないけど;)なんてったって第一印象、大事だよ。

まぁ気長に、じっくりゆっくり見てみます、けど。少しでも早く「自分」の防御力を高めていきたいもの。そんなことを思いながら、そこはかとなく、過ぎていく日々。