ココロ、おきなく、善し悪しごと。

13:30の移動中、私は泣いていた。

悔しさとか、やるせなさとか。そんなんばっかりだ、最近は。24時間という制約された時間が短すぎて、足掻いて、もがいて、苦しくなってる。やりたいことがあるのに、できなくて、やらなきゃいけないこともあるのに、できなくて。忙殺。毎日は、こんな風に過ごすもんじゃないとつくづく感じる。

自分自身に余裕がないと、世界全体に余裕がなく感じる。世界とは、私、自分自身。なんにも見えなくなる。積み重なるだけ重なって、悪いほうへ転んだら、なかなか元へは戻れない。がんばることをやめたら、もう二度とがんばれないことと、同じ。

ボロ雑巾のように疲弊することが嫌なのではない。管理された空間の中で、仕切られることが苦しいんだ。ココロがなくなっていくような感覚で。それが、一番、嫌なんだ。もっと発していたいのに、もっといろいろ知りたいのに。それが、できない。したくても、それを「会社」が許さない。それは、私が感じている「世界」じゃないんだ。それが、苦しいんだ。

こんなことを書きたくないんだ。もっと、いろいろ、書きたいんだ。

ささやかな幸せなこととか、急に思い出す昔のこと、未来のことを語ってみたり、そんな、人からしたらどうでもいいようなことを、書きたかったんだ。できることなら、不快な思いをさせてしまいたくないんだ。でも、書きたかったんだ。書きたくて書きたくて仕方なかったんだ。

歌うように、言葉を綴る。それはどんな感情だって、構わない。ココロ、おきなく、善し悪しごとを綴ったら、また何かわかるような気がしたんだ。それだけのことで、また私は泣く。でも同じ涙じゃない。これは、喜びの涙だ。