友の節目に、我を思う。

正直、あまり気乗りはしなかったけど、友人の結婚式、2次会に行った。気乗りしなかったというのは理由があって。私は今とある精神病を患っていて、祝いたいのに祝えないことに苦しくなったらどうしようかと思ったのだ。でも行くことにした。何より友の、晴れ姿をこの目に見たかった。

私が思う友のよいところ、それは笑顔に尽きる。
中学校の部活動、バレーボール部から始まった関係は、スパイクが決まるたびにハイタッチをするために振り返る瞬間の笑顔。嬉しくて堪らないあの笑顔が忘れられない。ふざけたこともたくさんしたけれど、それ以上に、純粋な友の笑顔が大好きだ。

友はとても綺麗だった。そして、聡明だった。溢れるあの笑顔から「シアワセ」というものが滲み出ていて、それに呼応するように参加者もシアワセを感じていた。とても素敵な宴だったと思う。そして、とても素敵な新郎新婦だったと思う。惜しみなく拍手を送った。きちんと目を見て「おめでとう」と伝えた。旦那さんにも、私が思う彼女をいいところをきちんと伝えることができた。きっと苦労もあるけれど、旦那さんと一緒に笑顔の絶えない家庭を築いていけるんだろうなぁって思った。

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終電の時間が近くて、一足先に会場を後にした。
そしたら、また襲ってきた。劣等感だらけの自分。
ちゃんとうまく伝えられたかな?偽りではなく、心から「おめでとう」と言えたかな?もっともっと思いを伝えられたのではないのかな?とか、また、よくわかんないことが頭の中をぐるぐるぐるぐるしてしまって、電車の中で泣いてしまった。

考えは止まらない。どうして別れた彼氏を笑顔にしてあげられなかったんだろう。もっとやり方があったんじゃないだろうか、って。そんな、もう忘れた感情まで一気に吹き出してしまっては、とまらなくて。妬みとか、嫉みではないのに、苦しくて、苦しくて、消えたくなってしまった。

私は「適応障害」という病気です。
うまくね、馴染むことができないの。
だからそんなことを思ってしまうんだけど、でも、そんなことを思ってしまったことで、友の節目を、台無しにしてしまったんじゃないかって、そこまで思ってしまった。ごめん。

おめでとう。本当に本当におめでとう。
いつまでも、人を元気にすることができるその笑顔をたいせつにして
これからの生涯を、過ごしてください。
ありがとう。