生きることは、学ぶこと。

いつしか気づいたことがある。「生きることは、学ぶこと」ということだ。私たちは生きている限り、学ぶことの連続だ。それが例え嬉しいことであっても、悲しいことであっても、なんでも、知っているようで知らないことだらけ。だからドキドキするし、不安にもなる。未知なることの連続なのだ。

その度に、学ぶ。アホかっていうくらいに、学ぶ。復習の繰り返しなのだ、だって人間は時間を隔つことにより、いつかの記憶を失くしてしまうから。

私は今回、意識的に「考えること」と「がんばること」をやめた。これはとても辛かった。何せ「考えることが好き」で「いつだって全力でがんばっていたい」生き物なのに、それをやめるなんて、死んだも同然じゃないか。生きていけない。「考えてはいけない」「がんばらない」という考えをもとに、過ごす毎日は、世界がモノクロで、感情がまるでない、人形のようだった。

それでも時間は待ってくれない。1秒1秒的確に、時を刻み続ける。その度に、不安になるのだ。私はいつまでこの状態なんだろうか。どうやったら抜け出せるのだろうか。劣等感ばかり大きくなって、死んでる自分がさらに死んでいく。楽しくない。笑えない。なにもできない。がんばれないからどうにもできない。

それでも時間は進んでいく。1秒1秒的確に、時を刻み続ける。そして、気づくのだ。時間は過ぎるものだけど、進むものでもあるということに。だから、死んでいるような私は、実はこれからより「生きていく」ために死んでいるということに気づくんです。

そうやって、また新しいことを学ぶ。また新しい道ができる。それこそが「紆余曲折」。私自身だ。物事はいつだって表裏一体だけど、なんにも変わらない芯がある。意識的にがんばらなくても、自然とできることをがんばる私は確かに私自身だし、そんな偏ったことを考えついてしまうことも確かに私なのだ。あー、学んだ。私今日学んだ。生きた。生きた。生きているんだ。すこしだけ、前が見えた。

みんなが見守ってくれているんだ。みんなが気遣ってくれているんだ。それを応えるというのではなく、気づいていきたい。気づいた上で、気遣っていく。できることをやっていく。やる。やる。やっていく。

今はともかく、それでいいんだ。
無理に気負わず、深みにはまらず、できることをこなしいく。
そうしてまた、嫌いな自分を好きになれたらそれでいい。
そうやって、また、学んでいく。