悔しくない、わけなんかない。ココロ編。

さっきは1日ずつ綴っていったけれど、ココロ編は焦点を絞って書けたらいいなって思う。悔しいことは、ひとつだけじゃないよ。実はたくさん、あるんだよ。

そのうちのひとつ。一番大きいことでFacebookのメッセージが見られない症候群があった。わかってはいたんだけど、ひとつの決定的事実を昇華することができなくて、見られなかったの。きちんとお返事を書きたかったんだけど、それすらままならなかった。もちろん「やる気」が湧かなくて。

多分その人は、私のブログを読んでくださっているし、私の内情と本人の実情を丁寧に言葉にしてくださったんだと、思っている。だから一回読んだだけで理解できた。あの時ちゃんと自分の言葉でお話できた。だから悔しくなんかない。それでも今は必要とされていない。だから悔しい。そんな思いが半々でまどろんでいていた。そんな感じだったんです。でも、その人から言われた「それなりにポテンシャルがある」発言はお世辞だとしても正直嬉しかったし、だったらもっと私にチカラがあればいいのに、と切に思った。そうやって、自分の気持ちに整理をした。

悔しくない、わけなんかない。
でも、もっと「悔しく」なんかなりたくないんだ。
だから悔しくても、足掻く。悔しいから、足掻く。
足掻けないと、けして歩くことはできないから。
だから足掻く事を正当化して、いつかくる日の、夢を見ている。

悔しいことは、たくさんあるよ。悔しいことばかりだよ。
でも「足掻こう」と思える瞬間が自分の奥底にあることは
私の「やる気」は潰えていないということで、すこし、安心もしている。

そんな一週間だった、ココロ編。