うつ病を「ハンデ」だなんて、思わないで欲しい。

今日、どうしても悔しいことがあった。
あまりの悔しさに、人目もはばからず涙を流してしまう程に、悔しくて。
涙が止まらなかった。

久しぶりに、昔のことを話した。
適応障害」になるまでの、いきさつ。そして現在。
思い出さなくていいことは、強制的に蓋をしている。
でも、否が応でも蓋を開けなければいけない時がある。
それが今日だった。

今でも昔のこと、正確には8月の終わりからだけれども、その頃の状況を人に話すことは心苦しいような、そんな悲惨な自分を全肯定して欲しいような、複雑な感情が入り交じる。私の主観で話すことだから、その「事実」が真実であるわけではない。でも、ストーリーテラーは自分以外にいないから、話す。この一連の話を、的確に伝えなくては相手に伝わらないから、話す。受け容れてもらえるかは別として、話す。頭の中を駆け巡るワード、ボキャブラリーを選んで、慎重に、話す。話すことでしか、相手に伝わる術がないから、話す。

11月に「適応障害」と診断されて、3月で仕事は辞めた。
辞めたら適応障害という病気は治る(正確には寛解)と思っていたけれど、思っていたより甘くはなかった。辞めたら辞めたでハローワークに提出する書類に「抑うつ状態」とかかりつけの心療内科の医者には書かれた。申請する書類に理解しやすいようにそう書かれたとしても、適応障害から抑うつ状態と自分の病状が変化する様を見て、何らかの精神病は抱えていることに違いないし、一生付き合っていくものだと、再認識をした。

私は、精神病は「なるべくしてなった」と今は思っている。
遅かれ早かれ、そうなってしまうものだったんだと、言いつけている。受け容れてもいる。病気になる兆候は、過去にいくらでもあった。その度にいろんな手段で自分を律して、支えて、自制してきた。それがついに自分自身ではコントロールできなかったから病院に行っただけのこと。だから、なるべくしてなったと思っている。

それを「ハンデ」という一言で片付けないで欲しい。
それがとても悔しかった。
ハンデ、なのですかうつ病は。
その人には身近にうつ病になった人が何人もいるからこそ、余計にそう思われているのが悔しかった。

「負けなくない」という言葉は適切ではない。伝えることはとても難しいけれど、一般的に伝わりやすい言葉が「負けたくない」だから、最後にこの言葉を残して今日を締めます。

わたしは、うつ病という病気に負けたくはありません。
だから隠すことなく正直に話すけれど「ハンデ」だけは思われたくありません。
人それぞれに主観が存在するから、肯定する人も否定する人も、いろんな意見を言うのは理解できる。
ただ、ハンデという言葉は、自分と相手に線を引き、うつ病という事実をより蔑むには抜群の言葉だということがわかり、悲しかったです。
悔しかったです。
それだけは、自分の話が言葉足らずだったのかもしれないけれど
伝えたかったです。
以上です。読んでいただいて、ありがとうございました。

ハラダヒロコ

LUNKHEADと共に犯す。いや、共に育つ。

2ヶ月ぶりに恵比寿リキッドルームへ行ってきた。LUNKHEADのアルバムレコ発ツアーである「青に染まる白」のファイナルだ。
(ちなみに前回はモテキナイトFINAL)

はじまる前から、わくわくが止まらなかった。
それは、LUNKHEADのライブは必ず【気持ち】を与えてくれるのですが、「今回はどんな【気持ち】を与えてくれるのだろう?」という感情が、胸の高まりになってうずうずしていたからだ。

結果、すごーーーくよかった。何がどう、とか理論的に言うのではなくて、本能が「LUNKHEADってすごいいいんだよ!!!」って訴えているのです。これは、ライブに参加している人しかわからないんだと思うんだけど。そしてそれを文章におこす限り、伝える行為をしないといけないんだけど。

LUNKHEADはすごくいい!

っていう一言に落ち着いちゃうと思うんだな、これが。

長い間、ずっとLUNKHEADを追いかけてきて、きちんとブログとして特に気持ちを残しておきたいと思えるのは【LUNKHEAD】。アホみたいに汗かきまくって、涙はかかずに全部汗にもってかれたけど、なんていうか、本当、彼らの音楽は私の毎日に必要不可欠だなって、本当に本当に思った。大好きな曲が多すぎて、ライブ一本じゃ収まりきれないのがもはや難点。

ひとりでライブに行くけれど、長いこと行っていたものだから、たくさんの出会いもあったよ。生まれた場所も環境も違うけど、全員に共通して言えるのは「LUNKHEADが好き」という気持ち。メンバーにも会いたいのですが、メンバーに会いに行くファンに会うこともどんどん楽しくなっていく。Twのフォロワーさんが「ライブ後、すごくいい笑顔してましたよ☆」と言ってくださってすごく嬉しかったです。もうそれはLUNKHEADの愛があるからです。いつも彼らに救われるんです。

とにもかくにも、すごく「愛」に溢れたライブでありました。
タイトルの「共に犯す」ていうのはアンコールにやった新曲が「共犯(仮)」なんだけど、聴いた感じでは悪い事してないんだから共犯じゃなくてもwしいていうなら、「共に育っている」んじゃないのかな?って。メンバーとファンが新しいものを求めて、互いに育っているような、そんな希望に満ちた曲だったから。

このライブを最後に、LUNKHEAD単体としての活動は当面控えることが決定しているので淋しいことは淋しいけれど、いつだってLUNKHEADの音楽はそばにあるし、彼らは一生LUNKHEADだ。また触れ合う「いつか」が、すごくエネルギー溢れるものになると思ってやまない昨日でした。うーん、LUNKHEADはすごくいい!!

あの日の言葉を、覚えているか?

2ヶ月ぶりに、前職の人たちと会ってきた。なんてことのない、ただの女子会だった。だったんだけど、「あの日」を思い出した。仕事を辞めた日、3月15日のことだ。

私はあの日、いろんな人に挨拶させていただいて、いろんな事を話した。
目まぐるしく時間が過ぎていった。退勤した後に、送別会までやってくれた。
その時の、最後の挨拶。とても一言では済まされなかった、挨拶。

「がんばりたかったけど、がんばれなくてごめんなさい。でも、今日、たくさんの人に挨拶させていただいて、たくさんの【気持ち】をいただきました。だから、また明日からがんばれると思います。本当に、ありがとうございました!」

と、本心を包み隠さず、涙ながらに話したのだ、私は。

【気持ち】というのは、なかなか表現がしにくい。
言葉で【気持ち】を伝えることはできるけど、それが本当に相手に伝わるかわからない。
モノで【気持ち】を伝えることはできるけど、それが本当に相手に伝わるかわからない。
わからないけれど、わかるためには、何かしらのカタチで伝えることでしか【気持ち】は伝わらないのだ。それが【あったかい気持ち】だろうと【つめたい気持ち】だろうと、なんであれ。

あの日の言葉を、覚えていたよ。
また【気持ち】をもらったから。
そこには、イチゴのような酸っぱさも、チーズケーキのような甘さも、いろんな【気持ち】が入り交じっていて。
なんていうか、本当に、ありがたいなぁ。
2ヶ月経っても、こんな風に思ってくれて。
救われる。

現在進行形で時間は進む。みんなと道は違う。でも、交わった時間が確かに存在する。きっとみんなもいつかの言葉を覚えていたから、こうやってまた【気持ち】は交差するんだと、確かに思った。

気持ちを引き締めよう。
自然と背筋は伸びる。
その為に、今日という一日は必要だった。

再生力。

正直なことをお話します。ここ最近、あまりココロの調子がよくありません。すごく簡単な言葉で済ませてしまうと、躁鬱状態を繰り返している感じで、今は鬱まっただ中です。月2回の検診時にはすごい楽観的な自分がいるのに、そうでない時はものすごい悲観的です。それはもう将来に対する不安というより「今自分は何をしているのだろう?そしてそれは意味があるのだろうか?」という、半ば禅問答のようなことを頭の中で繰り返しているのです。客観視して今、これを書いているけれど気もちわるいです自分。

なにせ無職ですから、時間が物凄くあるんですね。だからそんなしょーもない、でもだいじな問答を繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し。飽きることなく続くんです。しょーもなって自分でも思います。

自分を苛めることに、慣れているんです。そうしないといつだってやってこれなかったから。苛めて、愛して、奮い立たせるのです。それがどれだけ利己的なものであろうと、関係ないのです。でもさ、私一応精神疾患者だからさ、そんなことを繰り返してたら潰れるのは目に見えてるわけです。でもやっちゃう、癖だから。そして「自分はまだまだやれる」という過信があるから、苛めるんです。根拠のない自信は、愛してあげないといけないのです。「アイデンティティー」になり得るから。

そうやってね、私は自分のココロのろ過をするのです。きついんです、こういうの。でもやらないとさ、先に進めないんですよ。途中でやめちゃったら、そのまま。中途半端なまんま。いやじゃん、それ。そんなんじゃないじゃん自分って、心から思うんです(ここ根拠のない自信です)。

だから、徹底的に苛めます。苛めた苛めたその先に、新しい「何か」が必ずあるから。そうして壊れた自分のココロを再び立て直す、これが私にとっての、確かな「再生力」になることがわかるから。今は我慢の時。がんばれ自分。

キミが羨ましい。

時間はときに残酷だ。

つらいことや悲しいことは、どうしたって「時間」が必要になる。そうしないとつらいことや悲しいことは忘れられないし、一生苦しむ羽目になる。でも、そうでない時がある。キミが羨ましい。それは時間が経っても、忘れたくない感情だ。

キミはまるで羽根が生えているかのように軽やかに毎日を過ごす。
私の些細な悩みなど気にもとめない。足枷にしかならないのだ。
そうやって越えていく、走ってゆく、飛んでゆく。

うすれゆく記憶のなかで、キミの笑顔はキラキラだ。
その笑顔に、私はすくなくとも救われたんだ。
それは事実、忘れてはいけない事実。

私も羽根があればいいのにと、思うところはあるけれど、でもそれはないものねだり。自分は自分でしかない。ならば負けないくらいのキラキラを、発するしかないのだろう。

忘れるな。時間が経っても忘れるな。
時間はいつだって流れている。
そのなかで「キミが羨ましい」と憧れたことを忘れるな。
またひとつ、わたしのなかで憧憬が生まれた。

無職の質感。

仕事を辞めて1ヶ月が経った。気づいたら1ヶ月、あっという間に1ヶ月。
適応障害」という病気の為に、仕事を辞めざるを得ないと考えていた頃に比べると、だいぶ調子もよくなった。月2回の定期検診はあるものの、薬の量は減っていってる。
悲観的に捉えることもすくなくなった。これはいいことなのか正直わからない。何故なら「ネガティブ」っていうのは私を象る重要なファクターでもあるから、楽観的な自分が多いことが変に許せなかったりする。

無職という職業も、すこしは慣れた。
夜更かししても、朝はまっとうな時間に起きようとすることも
1日の「なにもない」予定を30分だけでも「なにか」予定を埋める行為も
気持ちばかりも家事を手伝うことも
有職だったら気づかないことがぼちぼちあった。わるくはない。

わるくはない。けど、よくもないのだ。この無職の「質感」は。
やけにヌメ感があるのだ。それが気持ちよい時もあれば、気もちわるい時もある。
心持ちひとつで変わるこの「質感」にいつまでも甘えていてはいけないんだなぁと
やけに落ち着く上島珈琲店で思いを馳せていた。

桜は徐々に葉桜に代わり、じきに薫風が吹く。
オトナの春休みはぼちぼち、終わりに向かわせるべきなんだろう。

5年目は無職。

9時に起きた。でも昨日から調子が芳しくなく1時間ほど布団にくるまってうだうだ過ごした。やっぱり、以前のエントリにも書いたのだが、無職になっても「日曜日」っていうのが総じて得意ではないらしい。

4月2日。今日から会社に入社する知り合いも少なくない。
去年の自分も「今日から4年目!」みたいな感じだったに違いないが、いかんせん無職である。半月ほど経った。どんどん、自分が腐っていく感覚がある。

正確には違うのかもしてない。一応いろいろ手続き関連はしている。初めてハローワークにも行ったし、健康保険や国民年金の手続きも終えた。でも、仕事していた時のような「がむしゃら」さは眠ったままだ。だから、何かひとつ物事を終えても達成感なんて微塵もない。夢中になれるものができれば欲しいのだが、まだ気力や体力が足りないらしい。手を伸ばそうとしてもひっこめる、臆病な自分がいることがわかる。

私の社会人5年目は、無職。
それは揺るぎない事実あり、自分で選択した道である。
「そういうときもあっていい」って思って選んだものだけど、やっぱりなんだかなぁ、と思う。
家にいるだけでは、季節の移ろいすら感じられない。
そんなことを思う。